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宗教法人 大聖寺 聖徒団
兵庫県明石市上ノ丸1丁目
18-18
TEL:078-912-5929
FAX:078-917-4804
代表者:猪俣 義康 |
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私(初代 茂三郎 嘉永6年2月22日生)は、最近憂鬱な日々を通していました。或夜次のような佛のお告げがありました。
「お寺を建てなさい。そして先祖を祭り子孫の繁栄を祈りなさい。さもないと、子孫は絶えてしまうであろう」と。
一瞬私はハッとし、うつつからさめて床の上に正座しました。
時に明治32年12月2日。 |
そうだ長男(連藏)は3年前、二男(弥次郎)は8年前、長女(なか)は7年前、二女(はな)はつい6ヵ月前、三男(利一)は生後1年、五女(さく)は生後1年。数えてみれば子供9人の内6人までが此の世を去ってしまったのだ。今、頼りになるのは四男の鬼代藏のみ、でもやっと満7才だ。そうだ、お告げの通りお寺を建て、そして先祖を祭り早く此の世を去った子供達の冥伏を祈り子孫の繁栄を願おう。そして残った女の子には早く婿養子をとらせよう。時に三女(ちよ)は満15才。四女(澤)は9才。私は八方手を盡して、ちよの婿養子を探しました。幸運にも2ヵ月後に(竹内)勝藏(當時21才)が見つかりましたので、早速婿養子に迎えました。ちよは満16才、勝藏は22才でした。私は一寸落ち着きました。次はお寺です。私は身延山に日参しました。
月日が経つのは早いもので、佛のお告げがあってから色々なことがあり、かた時もお寺の事は忘れず、身延山を取り巻く山林の一部を入手し、将来のことも考えて身延山の本山に全部奉納したのが、あれから3年後の明治35年8月でした。此処に於いて三國家の本山への意志が通じたのでした。私としましても1日も早くお寺を建てたいと願い出ていましたが、いつも返事には「今考慮中」との事でした。突然明治37年8月に本山より呼び出しがありましたので、馳せ参じました処、何という吉報でしょう。由緒ある惠光山を移さうかとの事でした。私は費用一切承諾しました。
私も最近色々と気疲れし、身体の具合もよくありませんでしたので、早く金銭受渡しの事を申出で明治37年11月契約は成立したのでした。
顧みますれば佛のお告げがあってから丸5年。やっとトンネルの向うに明かりが見え始めたのです。私は一應安心した精か、その翌日より床につく体になってしまいました。私は自分の体が普通でないのを知り早く万が一の為に遺言状を書いておかねばと思い、気分の良い日をみて書き始めたのです。
私の意志は鬼代藏に継がせようと、先ず第一に私の亡き後は私の名を襲名しお寺を建てるよう指示し、裁判所で認可してもらうよう書きました。第二番目は財産分与の事です。これは詳しく書きました。
時に鬼代藏は満12才です。 |
資料提供・三國民子氏 |
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